恋をするのはいいこと。だけど追いかける方がいいし、追われるのもいい。捕まえたり捕まったりしたらおしまいだ。
ある日不意に恋に落ちた奥坂教授が恋を追いかける。逃げられそうになって落ち込んだり、チャンスを見つけて行動したり、生き生きしている。自分の持論さえひっくり返す。信じているものに根拠なんてない。登場人物たちの会話はキャッチボールだけどわかりあえてない。わかりあえていないのアンサンブルだ。何の合意もない。登場人物たちを結びつけるものだって曖昧なご都合主義だ。だけど、そこにある会話を、関係を僕らは楽しめる。
そうだ、いつだって僕らはわかりあえていない。だけど一緒に過ごす。言いたいことがすれ違うのに和音になっていく。共同体って思い込みだよって弦巻さんの作品は示してくれるって僕はいつも思う。一緒になれていないけど、一緒にいられる、その刹那を楽しもうって、そんな風に何かに所属してなくてもいいし、関わりを自由に広げようって言ってくれるようだ。
弦巻さんの作品は映像のようにクローズアップがいらないし、人物の視点を示す必要もない。舞台上でちゃんと誤解し合う登場人物たち、そのわかりあえなさを、楽しみ方を舞台で描いてくれる。舞台上にリアリズムなんてないんだから、その虚構の上で、僕らのノンフィクションを描いてくれる。きっと僕らの日常だってこの舞台のように俯瞰してみることができたらすごく楽しいんだよって。
弦巻さんの舞台は伏線も絶妙だ。だから人物の心情なんて、映像表現のリアリズムや恣意性がなくてもどんどん観客の思うように想像して楽しめる。安定しない天気は奥坂教授の心情を単に演出するだけじゃない。ダメ気象予報士のあっちいったりこっちいったり移ろいやすい恋心を読み取ったっていい。女性陣の衣装の多様さも、常に変化する女性、踊らされる男たち、ありきたりな恋愛の立ち位置を舞台の土台に読み取れる。変わらない場所で、いつまでも同じものにこだわり続けるのはいつだって男だ。男の子たち、ぼーっとしてると女の子たちは気づかないうちに大人になってしまうよ。教授が若い女の子に気づかされる。そうだ男はいつだって男の子で、お母さんの次に大人にしてくれる女性との出会いを待っているのかもしれない。
弦巻さんの戯曲の素晴らしさはわかりあえないことをちゃんと描いていることだ。僕らは愛し合い生活を営むけれど、だけど日々幸せ願って勘違いし合う。そのことに真正面から向き合っているって思う。僕はそんな風に弦巻作品を勘違いして弦巻さんの作品に恋をしている。
勘違いするほどに恋は楽しい
勘違いするからあなたを知りたい
勘違いするからあなたを慕う
わからないからあなたを知りたい
わからないことは恋の入り口
わからないまま恋は続いていく
僕らはわかりあえないままに寄り添って歩くだからこそずっと恋していける
だから焦らなくてもいいんだそれほシェイクスピアの主人公たちのように焦らなくても
今を生きる僕たちはわかりあえないままに楽しく踊ろう恋して踊ろう
わかりあえないけど一緒にいれるんだよ
わかりあえないから一緒にいたいんだよ
わかりあえないままあなたに恋し続けるんたよ
だから物語のように焦らず恋は焦らなくてもいいんだよ焦れったいを楽しもういくつになっても
誠実に勘違いしながら、隣にいる人たちといっしょに過ごしたいと思った。
焦れったいを楽しもう。
わかりあえないままに恋しよう。
刹那を楽しもう。
演劇を見たことない人にこそ見てほしい作品。
2月7日(水)19:00
投稿者:icuteachersband
text by ゲスト投稿